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援助修道会

援助修道会日本管区のHPです。心の旅をともに、主キリストとともに…

人生相談白

 


胸がいっぱいで、お祈りがうまく言葉にならない時、どうすればよいのでしょうか。
(I.Nさん)

あべ

 

 

援助修道会Sr.阿部に修練者がインタビューしてきました。

2014年10月29日(水)広島市幟町修道院にて

 

 

 

あきこ  胸がいっぱいなとき… いろんなときがありますよね。

あべ   いろんな状態があるよね。自分のことで胸がいっぱいになっているのか。あるいはだれかの悲しみを共感して悲しみでいっぱいになっているのか。でも、とにかく胸がいっぱいっていうのはその方の感情が動いてるよね。感情が動いていれば必ず祈れるよ。感情って心が動いてるんだから、動いてるそのままを神さまにお見せしたらいいじゃない?胸がいっぱいなら胸がいっぱいです。って言えばいい。

 

神様の前では素顔のわたしでいい。

 

あきこ  動いている感情を、言葉にしなきゃいけないっていう・・・

あべ   言葉にしなきゃいけないっていう、固定観念みたいなものがあるかもしれないね。祈りっていうのはきれいな言葉にして、神さまに言わなきゃいけない、伝えなきゃいけないって思ってる部分もあるかもしれないね。でもそうじゃなくて、お祈りはありのまんまのわたしで神様の前にいることだから。そうだったら何も、無理に言葉にしなくてもね。
わたしが神さまの方に目を向けさえすれば、必ず目が合うのよ。

あきこ  目が合う????

あべ   そう、目が合う。なぜなら、神さまはわたしをごらんになっているから。いつでも。そうでしょ?わたしが神さまの方を向かないだけなのよ。いつも。だから、わたしが向いたら必ず目が合う。目が合うってことは心が合うってことでしょ。神さまに出会えるってことでしょ?

あきこ  その・・・目を向けるってどういう感じになるんですかね?

あべ   神さまを意識することかな。意識ってすごく大事かもしれない。自分で気づくということと、意識するということは英語でどちらもawareだから、同じ言葉なんだよね。
インドのアントニー・デ・メロ神父という方が言うにはね、本当に意識したことだけが本当の意味で神さまに通じじるって。意識するってことは、必ずしも言葉にするってことでもないよね。自分の心の問題だから。気づいているとか、目覚めているとか。
心を向けていることが意識していることでしょ。

あきこ  胸がいっぱいってことは、まずその状態に気づいているってことですよね。

あべ   何で、胸がいっぱいになっているかが問題だよね。何によって胸がいっぱいになっているのか。それを神さまに訴えるというか。お見せしたらいいんじゃないかしら。

 

ゆっくりした呼吸の中で「待つ」。

 

あべ  I.Nさんの質問はすごくいい質問よね。祈りって言葉にしなきゃいけないと思っている方が多いと思うんだけど、祈りは神さまの前に身を置いてそのまんま見ていただく・・・そこから始まるから。そしてわたしがしゃべるだけでなくて、神さまがおっしゃることを待って聞くというか。

あきこ そうなると、待つ時間って重要ですよね?結構あきらめちゃうところです。

あべ  そうそうそうそう!そしてほかのことに気を散らしちゃったりね。

あきこ そして、自分のことを言うだけ言って、何も返ってこない・・・今日はもうこれでいいや、なんてね。勝手に祈りを終了したり。

あべ  祈りは待つことと言ってもいいかもしれないね。

あきこ そうですよね。多くの方が、祈りについて、悩まれていると思うんです。どういうことが祈りなのかって。教会の祈りとか、ロザリオはもちろん祈りなんですけど。

あべ  たしかに、洗礼を受けたものの、祈りについては誰も教えてくれないし、活動が多くなったり・・・そのうちに、祈りについて聞くこともタブーな感じになってくるのね。もう祈りについて、いまさら聞けないわって。聞くことも恥ずかしいし。

あきこ どうやって祈ったらいいんですかって、聞けるようで聞けないし。答えられるようで答えるのもむずかしいですよね。

あべ  実は、祈りについて聞けるところが、いつでも、どこでも、あるようでないのよね。祈りについて満たされていないという状況なのよね。

あきこ 結局は祈りの本が家の本棚に並んで、開かず終いなんてことも多いですよ。だからこそ、今回の質問は貴重で、ハッとさせられたんです。ちょっと戻りますけど、今回の場合、神さまの前で言葉にするとしたら「胸がいっぱいなんです」っていうことですよね。

 

あなたの望みを言ってごらん。

 

あべ  まずはそういうことね。そして本当に、自分の中に望みがあれば、その望みをそのまんま神さまにぶつけて表現していいのよ。

あきこ 望みですか・・・・

あべ  祈るときにね、ひとつとても大事なことは、わたしが何を望んでいるのかということ。それを明確にすることはとても大事なの。霊操(※ロヨラの聖イグナチオの祈りの方法)の中でも、最初に求める恵みとあるでしょ?これは「渇望」とか、「深い強い望み」とか言うんだけど。これをはっきりさせるのは大事なことなの。望みがわからなければ、わたしが何を望んでいるのかを教えてくださいと。それは「望みの望み」と言うのよ。
聖書の中でもイエスはたびたび、「何を望んでいるのか?」と問いかけられるでしょ?
相田みつをさんっているでしょ。あの方がね、

「おまえさんな いま一体何が一番欲しい あれもこれもじゃだめだよ
いのちがけでほしいものを  ただ一つに的をしぼって言ってみな」

って詩を書いてるの。

あきこ すごいですね。命がけの望みですか。たしかに・・・いつもイエスは聞いてくださいますよね。「何を求めているのか」って。その問いが具体的だから、答えるために「何だろう?」と考えるし「何でしょう?」と問いかけてみたり、それがとても深い対話というか祈りになっていくんですよね?

あべ  そうなのよ。最初は「何を求めているのか」は、自分の中でぼんやりしてるかもしれない。それはそれでいいのよ。それを求めているうちに、だんだん的を得てくるのよね。
それがすごく大事。奥が深いわよね。祈りって。一回では終わらないテーマよね。
わたしたちはご飯を食べるみたいに毎日祈るから、あるいは呼吸するみたいにね。だから、本当に酸素を吸っているかどうかということね?(笑)

あきこ それってどういうことですか?(笑)

あべ  わたしは時々思うことなのよ。何かに追いかけられてね。ものすごく慌てているとき、取らなきゃいけない時間を取るだけで、本当に神さまを呼吸してるかどうかってね。そういうことあるのよ。ただ自己満足のためだけに時間をとって、「祈った!」みたいな感じになるのね。

 

「開け放つ」ことが大事。

 

あきこ まぁ、修道院だと祈りの場所はしっかりありますけど、普通のご家庭だとその場所もなかなか難しかったりしますよね。

あべ  人間には一人ひとり祈りに入りやすい、落ち着く方向があるのよ。それを探すことは大事よ。だからわたしだけにわかる場所でいいから、この部屋の中のこの方向に向かって祈る、というひとつのコーナーを作るのは助けになるわね。十字架を置いたり、マリアさまのご像を置いたり。そういうのが置きにくかったら、ローソク1個でもいい。石1個でもいい。自分の心の集中のための目印は大切なことですね。

あきこ 石1個でもいいんですね。

あべ  そうよ。たったひとつの石が、祈りの空間を作ってくれるのよ。

あきこ 最後に、わたしもよく聞かれるんですけど、神さまと対話をするなんて、どうやってできるんですか?
わたしは、言葉で語りかけるけど、神さまはどんな風に答えてくれて、対話が成り立つのかと。

あべ  対話ね。わたしがよく勧めるのは、書いてみること。例えばね、

「神さま、わたしは対話について知りたいんです」黒ペンで書いてみる。
「自分の心の中をできるだけ言ってごらん」 ちがう色のペンで。神さまの返答を書いてみる。
「えー、よくわかんない。でも、今、私の心は何かざわざわしてる」と、わたし。
「そのざわざわの原因は何だと思う?」と神さま。

友達と話すみたいに、神さまはこんな風に答えるんじゃないかなーと思ったことを書いていく。そしたら対話文になっていくでしょ?霊操の中に、「対話してください」って書いてある。そのときに「友が友に話すように」とある。こんな穏やかな会話にならないかもしれない。「むかつくー!」とかね、そう感じたら、そう書けばいいの。そうするとね、自分のネガティブな感情や、フィーリングを書き表すことで、自分の体から出てくるから。書くことで出てくるでしょ?そうすると落ち着くのよ。そうすると見えてくるの。
自分の中から出すということが、助けになる。さっき話した「意識」が始まってくる。

あきこ 座ってじーっと対話をすることが難しい場合、こういう方法で祈ることができるんですね。

あべ  じーっと沈黙で座っていると、気が散ってきて対話にならなくなるの。祈りから逸れちゃうのね。そういう時は書くことは大切。自分でも意識できなかった自分の内面を、神さまに表すことだから。

あきこ 確かに、気が散ってるうちに、望みがなんだったのかわかんなくなっちゃいますよね。だからこのように書くことも祈りなんですよね。

あべ  そうよ。神様と対話してるわけだから。

あきこ こうやって考えていくと、祈りを知っていくということは、神さまと出会っていく、ということですよね。そして祈りを深めるというと、なんだか内に内に閉まっていくように思いがちですけど、逆に開け放つこと、と言ってもよいのでしょうか。

あべ  祈りは体験だから、体験でしか理解できないのよ。

あきこ だから、心も、体も求めているのに、祈りにたどりつけないというのは苦しいことなんですよね。

あべ  日本では「キリストを知らせる」ということに、一生懸命エネルギーを使っているのだけど、本当は、同時に「キリストを知る」つまり、祈りの中で「キリストとの出会い」を深めるということも大切にしたいことなのよね。信者になってからも、ますます「キリストを知る」望みを深めていけたらいいと思う。

あきこ 日本社会を生きるわたしたちキリスト者が、日々の心の動きを祈りの中で表すことが出来ないとしたら、復活の喜びに生きることも難しく、苦しいばかりの毎日になってしまいますよね。
祈りがまだよくわかっていないわたしも、そうかもしれません・・・。

あべ  信仰生活をともに歩む者として一緒に寄り添いあいながら歩きたいわね。
祈りは一人でもできるけど、一緒にできるものだからね。

 

Sr.阿部光子

主な著書 『生活から祈る』全5巻(新世社)

ネメシュ・エドモンド(著) 阿部光子(著)

 

 

 

 

ほのぼの

日本の古典にも登場する、非常に古い言葉です。

かすかに明るくなるさま

ほんのり心が温かくなる

夜明け方

という意味があるそうです。

「夜明け前の闇は一番暗い」

そこから少しずつほのぼのと明けていく。

わたしたちはそこに共にあることを望んでいます。

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