あかねさんとチャド

 

 あかねさんの愛したチャドに行って

                                              2014年9月30日

                            木村 恭子

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あかねさんは2009年2月2日に、アフリカのチャドで、交通事故で突然天国へ旅立ってしまった。
チャドに派遣されてたった一年半で。
私はショックで、あかねさんの思い出を語るようになるまでに3年かかった。
私は2010年5月、修道会の国際的な集まりの報告書の中に「チャドに派遣されるシスターが必要」
ということを読み、「日本管区の中では誰が行けるだろうか。もしかして私が行けないだろうか。」
と思った。そして修道会に請願書を書いて提出した。
チャドに行くには、まずはフランス語を話せるようになる必要がある。それでフランスのリヨンに2011年9月から滞在。わたしの共同体の院長は、あかねさんがマルセイユでフランス語を学んでいた時の院長と同じ人、ロランスだった。彼女は、あかねさんがなくなる半年前にもらった種を撒かずに大切に持っていた。悲しくて撒く気になれなかったと…。
2012年春になり、その種を二人で撒いた。
早く芽を出した種は、寒すぎたのか枯れてしまい、暖かくなるのを待ってゆっくり芽を出したものは育っていった。
「チャドは気候も厳しいから慌てて早く行きすぎないように。ゆっくり準備して行って。」
とあかねさんから勧められた気がした。それで、まずは先に気候の温暖なカメルーンに3か月滞在する体験をさせていただくことにした。カメルーンは初めてのアフリカでの生活として、過ごしやすいところだった。あかねさんもカメルーンも一週間ほど訪問したことがあった。
フランスで、あかねさんを知っている人たちに出会った。マルセイユで同じ共同体にいたアンソレンは、「フランス人のシスターたち以上に、あかねとは心を通じ合える親友だった。」と言っていた。あかねさんと一度遠足に行った、ある他の会のシスターは、「彼女のことは忘れられない。彼女の親しみやすさと喜びの雰囲気はとても印象的だった。」と話してくれた。
私たちが撒いたあかねさんの種は、夏の日差しの厳しさ、水をやる人が2週間ほどいなかったという過酷な条件にも関わらず、逞しく成長し、花を咲かせて、私たちを喜ばせてくれた。
アサガオだった!見ていて希望を感じた。

あかねの種 003

そして私は2013年9月から2014年3月まで6か月間チャドに滞在した。
あかねさんが住んでいたンジャメナの共同体の家は建てつけが今ひとつで、ドアを閉めていても、網戸があっても、隙間から蚊や小さい羽虫のようなものがたくさん入ってくる。夜電気をつけているとその蚊と虫が室内の電燈にまで大量に群がる。奉仕の精神旺盛なあかねさんは、自家発電の電気を留める21時半ギリギリまで毎日起きて手紙を書いたり、仕事の準備をしていたようだ。とてもマラリアになりやすい環境。シャワーは冷たい水のみ。
あかねさんが彼女自身が運転していた車の事故で亡くなった時、同乗していて大怪我をしながらも奇跡的に生還したシスタークリスチンはこう話してくれた。「2009年の11月2日、あかねの墓参りをした際私はあかねのお墓のそばには行けず、壁の陰に隠れて『わたしがチャドグループとンジャメナ共同体の責任者だったのに、あかねを死なせてしまった。わたしがあの墓の下に入ればよかったのになぜあかねが?』と総長に言って泣いた。」と。私はクリスチンに「あかねが死んだのはあなたの責任じゃありませんよ。」と言った。あかねは私の口を通してクリスチンにそう言いたいに違いないと思いつつ。
あかねさんはンジャメナ共同体のシスターたちをとても愛していた。そしてチャドの人々を。2008年の夏、日本に帰国した時には、彼女の心はすっかりチャドにあった。経済的には貧しいけれど、温かく、素敵な人たちのいるチャド。
マラリアに罹ってなかなか治らずに修道院で療養していた時でも(※医者と看護師のシスターが一緒に住んでいた)、日本に帰りたいとは思わず、かえって「(病気のせいで)日本に帰らせられたくない。」と泣いていたそうだ。

 

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チャドにおいても、あかねさんの感じの良さは、印象的だったそうだ。出会った人たちが、「とてもいい人だった」と残念がっていた。フランス語が上手だったわけではなかったが、大学で心を込めてキャンパスミニストリーをしていた。彼女の持ち前の人懐っこさ、社交力は、言葉のハンディを補ってあまりあるものだっただろう。言語を超えたコミュニケーション力の高い人だった。

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あかねさんが自分から望んでチャドへ派遣されて、喜んでいたこと、幸せだったことは間違いない。短距離走者のように早く神様のもとへ駆け抜けて行ってしまって、残された私たちは本当に悲しかったけれど…。
神様のもとに帰った今も、彼女はわたしたちに興味津々で、チャド、日本、フランス、あちらこちらで、いろいろと手伝ってくれていると思う。カトリックの私たちは「聖徒の交わり」を信じている。生きている人も、この世の生を終えて神のもとにいる人たちも、祈りのうちに支え合っている。あかねさんが帰天して早くも5年がたったけれど、その間も彼女の記憶は薄れてはいない。遠くに住んでいるこの世で生きている姉妹よりもしばしば思い出す。

「来年は日本管区の創立80周年のイベントやろうよ。」とやる気満々の彼女の呼びかけまで聞こえてくる気がする。

私自身は将来的にチャドへの召命があるかどうかまだわからない。向こう6年間くらいは日本にいるようにとイエスから招かれていると思っている。フランスからチャドまで、この2年半の旅路は何にも代えがたい体験だったと心から感謝している。

 

あかねさんの祈り

 

わたしの主、わたしの神よ
あなたからいただいたこの新しい一日を
あなたに捧げさせてください
平和のうちに、信頼のうちに
どんなことがあろうとも、あなたとともにこの一日を
生きさせてください
どんな抵抗もわたしたちに断らせてください
それよりもっと、できるかぎりの行動に自分を捧げさせてください
わたしのうちに働く聖霊によって
今日一日があなたをもっと識る日となりますように
私の父よ
わたしはあなたにわたし自身を委ねます
わたしはあなたの両腕にわたしのいのちを置きます
あなたのみ心が、わたしになされますように
わたしは、ほかの何も望みません、わたしの神よ

チャドで発見されたあかねさんの祈り(フランス語から訳出)