歴史(旧)

marie

起源:インスピレーション

1853年11月2日「死者の記念日」
この日、北フランスの小さな町ロースに住むウージェニー・スメットは、聖体拝領の後、修道会創立のインスピレーションを神より受けた。

「戦いの教会(この世の教会)のあらゆる必要に応える修道会がある。しかし、苦しみの教会(死後、清めを受けている人々)に熱誠と愛徳の業によって余すところなくささげられた修道会は一つもない。」

ウージェニーは、受けたインスピレーションが神のみ旨であることを確認するため、5つのしるしを神に願った。2年のうちにそのしるしはすべて実現した。

創立

1856年1月19日
パリのサン・マルタン街にて煉獄援助修道会(通称:援助修道会)はささやかに始まった。

「この共同体の唯一の目的は、第四誓願によって、戦いの教会が要請する熱誠と愛徳にあふれる業を実践しつつ、苦しみの教会を助けるために、自らを奉献することにあります。」
(教皇ピオ9世への嘆願書)

1856年7月2日
この日、ある人がラ・バルイエール街(現・サン・ジャン・バプティスト・ド・ラ・サール街)16番地に開いたばかりの修道院を訪れ、結核に苦しむ貧しい女性の看護に来てもらいたいと会員に頼んだ。

「この町の女性がお金もなく、どの司祭や修道者が来ることも拒んでいる人がいるのです。どなたか彼女のために看護に行っていただけないでしょうか。」

この2日前、み摂理のマリア(ウージェニの修道名)と会員たちは、現在、総本部となっているラ・バルイエール街16番地に引っ越して来たばかりだった。
当時、み摂理のマリアは神からいただいたインスピレーションにより、修道会の目的は分かっていたが、そのために具体的に何をするかは見えていなかった。神のみ旨に答えるために何をすればいいのか?
この見知らぬ人からの依頼は、答えを祈り求める彼女に対する神からの返事であった。
み摂理のマリアはこの依頼について、後にこう語っている。

「神ご自身がこれによってわたしたちの歩むべき道をしるしてくださったのではないでしょうか。ですからわたしたちはその道を歩くだけであり、一人の会員がすぐに教えられた所に送られました。」 (み摂理のマリア略伝)

この当時から、援助修道会会員たちは、当時、教会から忘れ去られていた、あるいは自ら教会から離れていた貧しい病人たちのもとを訪れ、看護し、臨終の床に付き添い、しばしば埋葬にまで立ち会った。会員たちは修道服を身に着けていなかったので、司祭や修道者を拒む人々のもとにも入っていくことができたのである。
こうして、会員たちは当時の教会において「欠けている部分」を埋めるようにという神からの招きに応えた。

「選択する際には、忘れられている人々、人間の尊厳を傷つけられている人々、福音の告知をもっとも必要としている人々を優先させる方向を取る。」
(会憲29条)