活動日誌【2015】

80周年に向けての前晩の祈り

「あなたがたが根を支えているのではなく、根があなたがたを支えているのです。」

今私たちはここに集まり、援助修道会日本創立80周年を祝う前晩のこの時、会という一本の木が生きてきた歴史に想いをはせ、感謝を捧げようとしています。

 私たちは、たくさんの根に支えられて立っています。み摂理のマリア、み心のマリア、歴代の総長様がたと、世界中のオクシリアトリス。既にこの世を去った姉妹たち、これまでに出会った方々、直接に出会ったことは無いけれど、会の歴史の本の中で私に影響を与えてくださっ方々、

先に天に召されていった、日本管区ゆかりの姉妹たちを思い起こしましょう。

彼女たちは今、私に、私たちに、どんなことを語られるでしょうか。

先に天に召されていった姉妹たちに、どんなことを語りたいですか?

「1935年の日本創立のミサの聖書朗読を聞きましょう。」

聖書朗読(1ペトロの手紙 2・3~6)あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通してささげなさい。聖書にこう書いてあるからです。

「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない。」

80周年を記念する、この時、

*歴史に働いておられるみ摂理への信頼の内に、どのような一歩を踏み出したいですか?

*何を大切に生き、何を伝えていきたいですか。

「御言葉に照らされながら、しばらく沈黙のうちに、祈りましょう。」

2014-03-01 10.48.39

詩篇130  デ・プロフンディス

神よ、深い淵から、あなたに叫び嘆き祈る

わたしの声を聞いてください。

あなたが悪に目を留められるなら、

主よ、だれがあなたの前に立ち得よう。

しかし、あなたのゆるしのために、人はあなたを畏れ尊ぶ。

神はわたしの希望、わたしの望み、

わたしはそのことばにより頼む。

夜明けを待ちわびる夜回りにもまして、

わたしの心は主を待ち望む。

イスラエルよ、神により頼め、

神は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。

神は、すべての罪から、イスラエルを救われる。

援助修道会日本創立80周年に向けてのノヴェナ

援助修道会日本管区は今年、創立80周年を迎えることになりました。 2015年4月16日から24日まで、日本管区の全共同体でみ摂理と先人たちへの感謝を込めて、9日間の祈りを行います。『日本管区の歩み 前篇 第一部』から抜粋したもの、そしてノヴェナの意向を、毎日みなさまにも分かち合いお届けいたします。ともにお祈りいただけましたら幸いです。

4月24日(金)9日目

落成式のあとでもう一つ別の式が行われた。聖堂の畳は落成式のために使われており、畳をはいだ後の床はごみで一杯であったが、そこに風呂敷を敷いて、和服姿の一人の若い女性に堅信の秘跡が授けられた。彼女の名はクララ楳沢俊子といった。彼女はもとプロテスタントの教会へ行っていたが、より深い真の信仰を求め、呉カトリック教会の浦壁師によって受洗した。修道生活を望んでいたが、家族の反対が大きかったので、ロス司教、浦壁師、メール・サン・エルネストの三人が相談し、彼女は三篠に来て託児所の先生としてシスター達を手伝いながら、修道生活に入る前の三年間を過ごすことになった。その頃も修道生活に入るのは受洗して少なくとも三年後と決められていたのである。5月11日に彼女は三篠の人となり、クララさんと呼ばれてシスターたちのために大きな助け手となった。このクララさんこそ未来のシスター・イザベラ・楳沢である。未来の最初の日本人会員を迎えたこの日はちょうどメール・サン・エルネストの誕生日にあたっていた。(同p.24~25)

*日本は70年間戦争に参加することなく過ごしてきました。今、一部の人たちによって、戦争ができる国づくりを構築する強力な動きが作られつつあります。絶対に戦争は平和をもたらすものではなく、破壊です。この動きに反対し、平和憲法が世界遺産として認められるように、声をあげ続けることができますように。

*貧困が世界中いたる所で深刻さを増す中で、家庭内暴力、人身売買、児童老人虐待、教育格差、若者の雇用喪失等「いのち」が著しく脅かされている現実に、私たちは勇気をもって取り組み、人と人との出会いを大切にして、スマホ、ケイタイだけではなく、お互い同士の生の出会いによって力づけられ喜びがいただけますように、一人一人を大切にする恵みが与えられますように。

*現代に生きる援助修道会会員として、忘れられている人々、人間の尊厳を傷つけられている人々、福音の告知を最も必要としている人々を優先し、事に孤独に苦しむ人々と共に歩むことができる恵みが与えられますように。

*世界中で難民の方々の苦しい生活が増え続けています。日本政府の制度対策は本当にお粗末で人道に背く程です。日本の小教区、教区民、司祭、信徒の方々、男女修道会、修道者たちが、増え続ける難民対策の一助として、日本に逃れてきた人々に、教会、修道院の空室利用を考え、寛大に扉を開くことができますように、勇気と恵みが与えられますように。

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み摂理のマリアに取り次ぎを願う祈り

み摂理のマリア  ◇あなたは御父のみ手によって導かれ、教会の中に援助修道会を創立し、極みまで人々を愛し、すべての人を救いに至らせたいという熱誠に焼き尽くされていました。あなたの精神を受け継ぎ、援助修道会にあって いま生き続けている私たちに、きょう 必要な恵みが与えられますように。また、いま私たちが心を一つにしてあなたに願う意向のために御父に祈ってください。(しばらく沈黙) 私たちの母であるみ摂理のマリア  ◇私たちのために祈ってください。

4月23日(木)8日目

スール・アレクサンダーの健康は恢復に向かっているとはいえ重い仕事には耐えられないと知ったメール・サン・ジョアシャムは、(広島の託児所の)落成式に来日するに際して、すでに中国で宣教女として働いていたスール・フランシス・ザビエ(スール・フランシス・ゼーヴィア)を同伴した。すでに46歳を過ぎていたこのシスターは、アイルランド人で信仰深い働き手であった。まれにみる克己心の持ち主で、日本に来るのを非常に幸福に思っていた一人であった。彼女は日本上陸の日以来、御父に召される日まで、信仰、祈り、深い会への愛、従順を通して日本管区の隠れた縁の下の力持ちといえる役割を果たしたのである。生涯を通して彼女が愛した言葉は「すべてはイエズス様のため」であった。(同p.23)

*世界のグローバル化が進み、世界のさまざまな構造が崩れ、世界中が危機にさらされるような状況の中で、特に若い人たちのことが案じられます。次代を担う若者たちが、未来に希望を持って生きてゆくことができる社会を築いていけますように、力と恵みが与えられますように。

*正義が行われ、ひとりひとりが大切にされる武力によらない平和な世界の実現のために働く人々と連帯し、常に平和を求め続け、諦めず忍耐強く、平和の為の働きを続ける恵みが与えられますように。

*政治家をはじめ、国を治める職務をあずかった人々が、権力、名誉、名声にとらわれることなく、世界平和の視点にたって、いのちを大切に本来の使命を遂行する恵みが与えられますように。

*沖縄の基地問題に連帯し、不当な基地建設を決して許さないよう、沖縄の人々と平和を実現するためのたたかいに、平和の道具として働き続ける力と恵みが与えられますように。

*東日本大震災による原発事故がもたらした苦しみのどん底にある福島の人たちの為に祈ります。そして多発する地震国に生きる私たちは、脱原発運動を強力に推し進めるとともに、自然、環境へ配慮した、資源を大切にする簡素な生活を追及していけますように。

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4月22日(水)7日目

日本到着後間もなくメール・サン・エルネストが総長にあてた手紙

「本当のことを言えば、小さい辛いことはたくさんあります。しかし、それらすべてを私は聖櫃におられるイエズスのところに持って行きます。そして帰る時には私の心は喜びで一杯になり、今までの犠牲をすっかり忘れてしまいます。このことをお話しするのは、総長様、あなたに私の苦しみ、弱さを知っていただきたいからです。けれども私の心は神のみ旨しか望んでいません。神のご計画、そして会のプランを私は一行も変えたくはありません。日本にいる喜びを決して言い表すことはできません。もちろん苦行もたくさんあります。…」(同p.20)

*国際修練院についての識別のため

*日本管区の新しい動きのため

*これからの時代の修道者としての証しと派遣のために堅固で柔軟な霊的生活を生きる恵み

*テロをはじめすべての暴力からの解放

*来日した難民のかたがたが、友人、住居、仕事、その他必要なものを得て、幸せに暮らしていくことができますように。

*外国人労働者が搾取されることなく、人間らしく暮らせる労働条件と正当な報酬を得られますように。

*死を間近にしている全ての人のため(気づいていようがいまいが)

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4月21日(火)6日目

4月27日、復活祭の週の土曜日に、まず修道院と各部屋の祝別が行われ、つづいて上海の聖母院から送られた写真をもとにして広島で造られた木製の美しい祭壇を囲んで初めてのミサがささげられた。司式者ワイセンフェルグ師をはじめ、あずかった会員、信徒にとって、まことに感激的なミサであり、その日のミサのテーマの「生きる石」は、一同の心に深く刻みつけられた。

「人間に捨てられ、神に選ばれた尊い生きる石である主に近づけ。そして生きる石として、あなたたちもこの霊の建物の材料となれ」(Ⅰペトロ 10・1-6)

こうして会員は新しい土地に小さな隅の首石として送られたことをもう一度自覚するのであった。

5月3日、第二陣のメール・マリ・ベルクマンス、メール・サント・レネルド、そしてすでに上海にいた第三会員のスール・ザビエ宅島が広島に着いた。(同p.13-14)

*この日を迎えた会の中に生きる喜びと感謝に心を合わせて、

イエズス会士ロス司教によって1935年4月26日創立した軍港の隣町ひろしま 会員を待っていた日本は戦時色濃いヨーロッパ人敵視の中でした。その中で抑留されたり強制疎開をさせられたシスターもいる長い苦しい日々を過ごされたミッショネール、 そして先輩シスター山田をトップに 今は亡きアグレジアのシスター宅島が厳しい監視を受け人々にさげすまれながら賢慮さそのもので添人とて運命を担ってくださった。この歴史の流れを引き継ぎこよなく日本を愛し神のもとに呼ばれていった 多くの先輩の聖徒の交わりの血を受け継いで。

更に 明日への未知の道を開こうとする 若きメンバーへ心からのエールを送ります。

*今、神が私たちの会にのぞまれる生き方を知ることができるよう照らしを願います。

* 共に使命を果たしていく新しいいのち、召命の恵みを願います。(3人の志願者を。)

* 様々な過ぎ越しのうちにある人々のために私たちが自らをささげ、共に過ぎ越し神秘を生きることができるように願います。

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4月20日(月)5日目

中国の会員と復活祭を共にしたメール・サン・エルネストは、スール・アレクサンダーと共に、すでに上海にいた日本人第三会員スール・フランシスカ若林を伴い、4月23日に船に乗り込み日本へ向かった。4月25日、船は神戸に着いた。翌26日朝、一行は汽車に乗り、午後二時十分広島に到着した。駅には幟町教会主任司祭ワイセンフェルグ師およびヨハネ兄弟会の院長と、20名ほどの信者が待ち受けており、その中には伝道師の星島氏夫妻やフランス語を流暢に話す下斗米夫人もいた。それから皆で教会へ行き聖堂に入った。一同はそこでテ・デウムを歌って神への感謝を示した。午後四時、一同は三篠へ向かった。掃き清められた家、方々に飾られた美しい花、その夜のためにすでに準備された温かい布団、どこにも歓迎の気分がみなぎっていた。美味しい夕食まで準備されていた。(同p.11-12)

*ケニアのため、特にナイロビの会員たちの為

*会の使命を果たすために日本管区から新しい会員が与えられますように

*シスター永田の病気回復

*一人一人、神からいただいた召し出しの原点に立ち返り、会のカリスマを生き抜く恵み

*フランシスコ教皇様の意向のため、特に次のシノドス開催の上に聖霊の導きを願う

*各国の為政者が賢明な判断力を持つ良い指導者となりますように。特に次世代を担うこどもたちに希望を託せる国つくりをめざすことができるように

*日本の教会の活性化の為に会員として積極的な貢献が出来ますように

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4月19日(日)4日目

新たにメール・サン・ジョアシャムが日本地区長に任命され、宣教女達の受け入れのためにワイセンフェルグ師の協力を得て準備を進めていた。新しい責任者として、当時アメリカの修練長であったメール・サン・エルネスト(40歳)が任命された。1935年3月2日、本部修道院で日本創立に向かう4名の会員と、中国に派遣される2名の会員の出発を祝う壮行会が行われた。メール・サン・エルネストに同行する者は、メール・マリ・ド・サント・レネルド(ベルギー人 35歳)、メール・マリ・ベルクマンス(ベルギー人 31歳)‐彼女はその前年に終生誓願を宣立していた‐および、スール・アレクサンダー(スコットランド人 30歳)であり、中国宣教に赴くのは、メール・マリ・アドリアン(フランス人)とスール・マリ・マルタ(ボヘミア人)であった。(同p.9-10)

*「すべての人が創造された目的に達するように手伝う」との創立者の言葉を、私たちひとりひとりの心に銘記し、聖霊の導きをお互いに祈り合う恵みをいただけますように。

*戦争を引き起こす男性の心に主ご自身が歯止めとなって平和の道に目覚めさせて下さい。

*国を負われ、家を失い、家族も離ればなれになり、生活の道も奪われて苦しみと差別のどん底にある人たちのために。

*集団的自衛権の行使に到る目的で、世界の宝である平和憲法を変えようとしている安倍 政権が、平和を願うまなざしに変えられますように

*沖縄辺野古、高江に暮らす人々の命をかけた抵抗にもかかわらず、美しい海とやんばるの森が今まさにアメリカ軍に提供されようとしています。沖縄が,さらにわたしたちのいけにえにならないように。

*出口を失ってさまよい続けている子供達の病んだ心に、温かな光が差し込みますように。 *病気で苦しんでいる方々が忍耐の内に過ごす事ができますように。

*今年の復活祭に洗礼を受けた全世界の教会の新信徒のために。

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 4月18日(土)3日目

1931年2月6日、総長は海路日本へと向かった。総長一行は東シナ海、玄界灘の荒波に悩まされた後、8日午後3時神戸に上陸した。ロス司教が会創立の第一候補地として示されたのは呉であった。総長は呉訪問にあたって、未来の修道院設立の場所として二軒の民家のある土地を三万三千円で買い取った。しかし総長出発後まもなく、海軍の基地のある呉には外国人の滞在が一切禁止されたので、購入された土地はそのまま放置され、後日、呉教会として用いられるようになった。日本創立はその後何の進展もなく時が過ぎていった。その上、日本創立の責任者として任命され、パリ在住の沢田フランス大使夫人から日本語を習っていたメール・サン・レイモンドが病没した。こうして日本の創立はすべて無に帰したかのようにみえた。 しかし、呉に会の創立が不可能であるのを知ったロス司教は他の土地を物色し、広島の幟町教会主任ワイセンフェルグ師の手を通し、広島市のはずれ、大田川に近い楠木町四丁目に土地を購入した。こうして一時は頓挫しかけた日本創立は、ロス司教の配慮のおかげで現実に向かって再び歩みはじめたのであった。(同p.6-9)

*キリストの遺言であり、創立者の遺言である具体的に「愛し合う恵み」

*奉献者年にあたって霊的な深めの恵み

*市谷境内の動きがみ旨に適うように *若い会員と上の年代の会員の相互理解と協力

*戦後70年にあたり、憲法9条を守る日本でありたい。

*信徒発見150年にあたり、先達者の信仰を模範として生きる恵み

*世界の集団的罪を自覚する

*福島の原発で苦しむ人々や、沖縄の基地反対の支援

*日本管区創立に尽力されたシスター方に取り次ぎを願い、最後まで私たちが宣教的に生きる恵みをいただけますように。

*私たちが希望、喜びを伝える者となりますように。

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 4月17日(金)2日目

使徒的熱誠に燃えていただけではなく、音楽、絵画の芸術的才能にも豊かに恵まれていたメール・マリ・ベルクマンスの心には、修練期以来秘められた大きな望み、祈りがあった。それは宣教女として神の国のために働くことであった。そして時とともに聖フランシス・ザビエルによって信仰の種子を蒔かれ、多くの殉教者の血で彩られた日本に心惹かれるようになっていた。しかし、日本への会の創立はまだ神の計画のうちにのみあり、とくにあまり健康に恵まれない彼女にとって、それはあたかも美しい絹地に描かれた日本画のような淡い色合いを持つ夢のような望みであった。それでも彼女は、魂の内に響く呼び声を退けることなく、叔父シャール師に自分の望みを打ち明け、総長の東洋訪問を機会として何らかの方法がとれないであろうかと相談した。師はこの望みのうちに神のみ手をみて言った。「よろしい。あなた方の総長様は、今ちょうど中国におられます。私は友人のロス司教に手紙を書いてみましょう。」師は広島教区長として働いているロス司教に手紙を送った。 「司教様、もしあなたの教区に援助修道会をお望みなら、今ちょうど総長が中国を視察しておられますから相談してください。帰りには日本に立ち寄られることもできるでしょう。」この一通の手紙が援助修道会日本創立の核となって動き始めたのである。ロス司教はこの手紙を受けるや、すぐに中国を訪問中のメール・サント・ラドゴンドに手紙を送った。 「広島教区には聖心愛子会以外に直接宣教にあたる修道会がないので、もう一つ修道会があればと望んでいたところです。会員をぜひ日本へ送ってください。とにかく中国からの帰りに日本へお立ち寄りください。一度、この日本をごらんになってください。」 この招待を受けた総長は日本へ行く決心をした。(同p.4-5』

*宗教、民族を超えて、平和が築かれるように。 *被爆から70年、再び戦争の惨禍を広げることのないように

*不正の故に苦しむ人と連帯できるため、社会の現状を把握しそこに隠されているものを信仰のうちに読み取り、行動に移すことができるように

*平和の使徒として祈り、勇気を持って行動することができるように

*わたしたちが真の奉献生活を生き、周りの方々、また、多くの方々に神の証し人となれるように

*わたしたちと一緒に創立者のこころを生きる人々の召し出しを(共住・在俗会・友の会)

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 4月16日(木)1日目

先に1924年9月26日に、第4回総会で総長に選ばれたメール・サント・ラドゴンドは、会員のうちに燃えている宣教地への熱意を心にとめておられた。この新総長にとって日本は全く未知の国ではなかった。彼女の父、クーチル・ド・サントビ氏は海軍の提督であり、自宅に日本から将校としての必要な教育を受けるためにフランスに派遣されて来た若い海軍士官をとめていた。この海軍士官こそは後の木村司令官であり、彼は帰日後もサントビ家と親交を結んでいた。 (『日本管区の歩み 前篇 第一部』 p.3)

 *召命の原点に戻って真の回心の恵みを願いたい。

*現代社会に根を下ろして召命を生きる道を教えてください。 *現代社会の中で苦しむ人と共に生きる勇気をください。

*創立者の燃える宣教者魂を現代社会で生き続ける熱い心を求めたい。

*施政者に命を懸けてNOを言った日本の殉教者達に倣って今この世界で真の信仰を証し出来ますように。

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 sr橋本晶子初誓願式

2015年3月22日、東京 援助修道会本部修道院聖堂に於いて

1

修練期の終わりに、初めての誓願、初誓願式を行います。

2

司祭と人びとの前で、宣言します。

3

新しく派遣される共同体の姉妹たちに受け入れられます。

4

お世話になった方々の祈りに支えられて・・・

5

キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに・・・

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お母さまが育ててくださいました。お母さまの捧げでもあります。

ありがとう!お母さん!

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パーティーでの楽しい、おいしいひととき。

India

みなさまお変わりなくお過ごしでしょうか?
私は元気にインドから戻り1か月が経ちました。
カメラのデータが壊れ、帰国してから修理に出していました。
復旧し戻ってきた写真を見ながら、実習を思い起こしているところです。
みなさまからのお手紙、お祈りに支えられて無事に過ごせたことを感謝しています。
なぜ、御父はこのような大きな恵みを与えて下さるのか本当に不思議でした。
そして私にとっては、この恵みを受け取るということが、大きなチャレンジでもありました。
御父が与えて下さる糧を、信頼して受け取れるよう祈りながら過ごした日々です。
イエスと一緒に見つめたことを、みなさまにも分かち合いたいと思います。

                   2015年1月16日 修練院 橋本晶子

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私が実習させていただいたのは西ベンガル州に位置する、バラサト・コルカタ・ボルプールという町にある共同体です。

インドの地図を現地で眺めて、とてつもなく広いんだと実感しました。
私が滞在した地域(地図の〇部分)だけでも、バラサトからボルプールまでは7時間程です。
そんなにかかって移動しても、この大きな地図の中ではほんのちょっとの距離なのです。
出会った青年たちから、「日本は小さな国なのにオリンピックができるの?」と度々聞かれました。
「大きな競技場を建てられるの?」 「TOYOTAもHONDAもSONYも全部日本の中に入ってるの?」と。何とも面白い質問ですが、なるほどと思いました。
インドの方々からすると、日本はほんとに小さな国ですよね。
帰国後、「インドはどうだった?」と質問されますが、ひと言では語れない自分がいます。
多様な民族、言語、宗教に触れ、複雑・・・と思いました。 その複雑さの中で生きる人々の力強さと、神秘的な瞳に出会いながら、私は誰なのでしょうか?と考えさせられました。

Barasat

バラサト共同体は、スタディーハウス、フォーメーションハウスの少女たちと、シスター方を合わせて30名程のビックコミュニティーです。お祈り、食事、クリスマスの準備、大掃除・・・24時間を一緒に過ごしました。一番長く滞在した共同体です。また、到着翌日からはVISITが始まり、総長チームのシスター、香港、台湾のシスター方にもお会いするというサプライズの連続でした。   到着すると、バラサト共同体はクリスマス準備で大忙し。草むしり、大掃除に始まり、木はすべて紅白に、庭のブロックも鉢も全部塗りなおします。馬小屋を設置し、すべての部屋を飾り付け休憩時間も返上で準備します。私もすっかり筋肉痛になりました。そして25日になると近所の方をお招きするのです。もちろんキリスト教ではない方々がほとんですが、毎年みんな楽しみにしているようです。   さて、そのクリスマスの様子は・・・      「家からは手紙も電話も来ない。もう私のことなんて忘れちゃったのかしら」 準備をしながら、涙を流していた女の子たちもサリーを身に着け、笑顔のクリスマスとなりました。   そしてまた、静かな日常生活に戻ります。   

 Kolkata

2015年元旦からは、コルカタのイエズス会黙想の家「ダイナアショラム」でインドと日本の援助会シスターたちのセッションがありました。
私も参加させていただき嬉しい三日間になりました。
内容は「アジアの霊性とイグナチオの霊操」という大変難しいテーマでしたが、日本から通訳のシスターが来てくれたので大船に乗った気持ちで参加することが出来ました。
ご指導してくださったのはイエズス会コルカタ管区の管区長様で、日本にも来られたことがあるそうです。        クリスマス、年末と大忙しだった生活から少し離れ、静かな黙想の家でゆっくり出来たことは、後半の実習への大きな活力となりました。
インドではキリスト教が占める割合はごくわずかです。
さらに援助修道会は小さな存在ですが、バラサトで見てきたシスター方の働きと祈りの姿に、イグナチオの霊性が根付いているのだと感じました。
これからも出会いと分かち合いを重ねながら、お互いを知っていけたらよいと思います。
アジアの霊性、イグナチオ霊性・・・深めていくことがたくさんあります。
課題をいただいてきました。 そしてほんのひととき、日本語を話せたことはホッとしましたね。
さて、今度はコルカタ共同体へ。
コルカタ共同体は、3共同体の中で唯一シスター方だけで住んでいる共同体です。
「オイコタン」「プロゴティ」という二つの家があり、夕食と夜の祈りには全員が集まります。
食卓ではそれぞれの使徒職の分かち合いが尽きることがありません。
バラサト、ボルプールは多くのお嬢さん方を預かっているので、やはり緊張感があります。
その点、コルカタ共同体はおなじみの、援助会ハウスという雰囲気がしました。
また、コルカタ市内の中心地にあり、近所の方たちともまるで家族のようです。
屋上に上がれば、隣の屋上に渡れるほどの近さで日中の温かい時間は、みんな屋上で過ごしています。
暖房がないので朝晩は非常に寒かったです。
コルカタでは、「死を待つ人の家」で実習をさせていただきました。新人の私の方がすっかりお世話になっていましたね。
励ましていただいたり、祈っていただいたり。男性も女性もはつらつとして明るかったです。
しかし、次の日には亡くなっていたりするのです。
人は大切にされていると輝くんだなと思いました。
そして、世界からボランティアの若者が来ていて、日本の看護学生のグループにも出会いました。
生きること、死ぬことについて考えさせていただいた場所です。     
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コルカタ市内は、クリスマスシーズンということもあり賑やかでした。イエズス会のザビエル大学に、大きなザビエル像が完成したことが話題になっていました。
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そして風の出る夕方になると、空には一斉に凧が揚がります。
少年たちが家の屋上に上がり凧あげを始めるのです。
共同体の隣に住む少年は苦戦中。毎日空を見上げながら練習しています。いつか高く揚げられるといいね。   

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ボールプールへは、電車一人旅。女性専用車両で旅は道連れ。インドのお菓子をいただいたりしながら、楽しくでかけました。車窓からの風景に癒されながら・・・ ボルプールはインドの詩人ラビンドラナート・タゴールにより建てられた芸術学校「シャンティニケタン」がある町として有名な場所です。

あなたは私を無限にした それがあなたの歓びである この脆い器をあなたは幾度となく空にして また常に新たないのちでそれを溢れさせる この小さい葦の笛を あなたは丘を超え谷を渡って持ち運んだ そうしてそれで永遠に新しい旋律を吹いた あなたの不滅の手に触れて 私の小さな胸は歓喜に張り裂け 言いがたい叫びをあげる あなたの無限の賜物は ただこのささやかな私の掌を通して与えられる 幾度すぎても あなたはなおも注いでいる そうして そこにはなおも満たされるべき 空所が残っている
『ギタンジャリ』冒頭歌

ボルプール実習は短い期間でしたが、忘れられないのが教会の青年たちとのピクニック。
ピクニック?というかキャンプです。
サイクリングで到着したのは、何もない農地。まさかここであの飛び跳ねている鶏を調理してカレーを作るとか??? そのまさかでしたね。
私もむしりました鶏の羽。丸焼きもしました。
もう恐れるものはありません! そして、お気づきでしょうか。
働いているのはほとんどシスター方です。
あれ?若者は?         
若者は・・・おやつを食べて携帯電話で遊んでいます。
ちょっと お怒りモードの神父様、とうとう携帯電話没収し始めました。
働く若者ももちろんいるんですよ!またこの葉っぱで出来たお皿がエコですばらしい!

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午前10時に現地に到着し「ランチ」のカレーを食べられたのは午後4時。美味しいカレーが出来ました!

食べ終わる頃にはもう夕暮れ時・・・   文句を言いながらもやってくる青年たちと、怒りながらも一生懸命な神父様や、シスター方の関わりはステキだと思いました。
最後はやっとみんなでまとまって記念撮影。援助会のシスターたちは、もう2度と行かない!と言っていましたが、またきっと行くでしょう。
なぜなら、写真に写るシスターたちの顔はみんな笑顔ですから。
帰りは真っ暗な道をサイクリングするというサバイバル体験の中、やっとの思いで家にたどり着いたのでした。
みなさま いかがだったでしょうか?
きっと「充実していたのね。よかったわ!」と思っておられると思います。
その通りです。 しかし、出発前に私がわかっていたことは、コルカタ空港に誰かが迎えに来て下さるということと、1月のセッションに参加するということだけでした。
どんな実習になるのかわからない、という不安が湧き起こっていたのを思い出します。
夜9時過ぎに到着した私を迎えに来てくれたシスター二人は、明らかに疲れた顔で、笑顔もなく「歓迎されていない」ということを直観的に感じるほどでした。
しかし翌日にはVISITが始まるということで、連日空港へのお迎えが続き疲れていたということを、後になって知りました。
到着した家の前で「ここはコルカタ共同体ですか?」と尋ねると、「いいえ、バラサトです。」と答えて下さりバラサト共同体で過ごすのだということがわかったのです。
実際インド滞在中はその日暮らしで、明日の予定は明日にならないとわからない。
その日が来てもわからない。そのような毎日でしたが、神さまはその日に必要な恵みと喜びを与えて下さいました。
それは私が想像もできないような出来事と出会いのうちに用意されていました。
今回分かち合いをさせていただいたことは、まるで偶然のような必然のような状況で出会ったことばかりなのです。
み旨による糧を今日いただけるように、その糧を受け取るための努力ができるように祈ることを学びました。
御父がすべてを準備してくださっていることに信頼を置くこと。
それがインドでの実習で与えられた恵みだと思っています。
「旅するノビシア」であったこの1年を振り返り、今は心から感謝しています。
自分の履き慣れたサンダルを脱いで地に足をつけると、当然痛みもあり恐れもありますが、より自分らしく素足で立つことの心地よさに気づくことができます。
そして何よりその土地で素足のまま生きる方々に出会うことができます。
そして私は誰なのでしょうか?という問いにも聖霊が気づきを下さるように思いました。
セッションの指導をしてくださった神父様が、私の名前「ハシモト」がベンガル語では「スマイリー」「ハッピィー」という意味があると教えてくださいました。
ペトロがイエスから「ケファ」と名付けられたように私も、インドで「喜びの人」として生きるようにと名付けられた思いがしています。
御父の愛を大切に受けとめるための、もう一歩の努力が私には必要です。
そしてそれさえも助けていただかなくては出来ないことです。 どうぞこれからもお祈りください。   

バラサト共同体のムスタン

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